學志館

2021.06.16

絶対音感ならぬ絶対語感

教育

こんにちは。国語担当石川です。
言い換えの練習などをしていて、「連絡を取る方法がない」というのを「よう」を使って意味が変わらないようにして書き直しなさい、という問題は皆ひっかかるところです。他にも、「子どもでさえできる技だ。」を2文字のひらがなを使って「子どもで○○こなす技だ」に書き換えなさい、など、最近の子どもたちのみならず、大人も使う人が少なくなってきているような言葉は、なかなか思いつかないようです。答えは「連絡のとりようがない」と「子どもですらこなす技だ」。
ふと、今年の高校受験前の特訓模試で取り上げられていた外山滋比古さんの「日本語の絶対語感」を思い出しました。その中に昔の江戸時代の教育が例にあげられていました。まだろくに字も読めない幼い子供に漢文の素読をさせるというものです。もちろん子どものほうは意味もわからず、ただ先生の読んだ後をついて声に出して読む、の繰り返しです。
これが「未知の読み」すなわち「ベータ読み」といって文字から未知を読み取ることができるようになるという読み方です。わからないなりに、自分で想像力を働かせて自分の頭で解釈しながら読んでいく、これが日本語の絶対語感になっていくといったものです。
なるほど。

冒頭の言い回しの問題などは、何かしらをベータ読みしていく中で身につくところもあると思います。

そういえば、小学校でも、昔の、いわゆる文豪の作品の一部や、古典の一部を暗唱するというテストがあるようです。
中学生になるといろいろ忙しくてなかなか本も読めないかと思いますが、ちょっとした合間の時間に本を開いて読んでみる、わからなくても読んでみる
わからなければ次の日も読んでみる。少しずつでもいいから。
これは、回り道なようでいて、実は日本語の基礎体力をつける近道かもしれませんね^_^

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