この時期、小中高等学校の国語の教科書では、戦争を扱った文章を数多く学習します。
正直気が重いですし、道徳でやってくれないかなあ…と思うこともありますが、
あの頃の続きで今を生きる私たちが知らなければならない事だと思うので、
必ず取り上げて、出来るだけ丁寧に説明するようにしています。
光村図書中3教科書で扱っているのは『挨拶 原爆の写真に寄せて』という
石垣りんさんの詩です。
この詩が書かれたのは昭和27年(1952)8月5日。
詩が生まれた経緯については石垣りんさん本人の文章があります。紹介しましょう。
「実際、私も勤め先の職員組合書記局に呼ばれ、明日は原爆投下された8月6日である。朝、皆が出勤してきて一列に並んだ出勤簿に銘々判を捺す、その台の真上にはる壁新聞に原爆投下の写真を出すから、写真に添える詩を今すぐここで書いてもらいたい。と言われ、営業時間中、一時間位で書かされたことがありました。」
「題名は、友だちに「オハヨウ」と呼びかけるかわりの詩、という意味で「挨拶」としました。あれはアメリカ側から、原爆被災者の写真を発表してもよろしい、と言われた年のことだったと思います。はじめて目にする写真を手に、すぐに詩を書けという執行部の人も、頼まれた者も、非常な衝撃を受けていて、叩かれてネをあげるような思いで、私は求めに応えた。」
ですから、本来、写真とセットで読まなければならない詩です…が
検索した写真がむご過ぎて、こちらには持って来ませんでした。
授業で扱う時は、手持ちの原爆ドームの写真集を持っていき、見せるようにしています。
挨拶 原爆の写真によせて
あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ
すでに此の世にないもの
とはいえ
友よ
向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を
その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ
地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか
しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる
一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。
この詩の題が「挨拶」という所に意味があるのです。
この詩を目にする、わたしたち側に呼びかける詩なのです。
夏休み明けの試験も大切ですが、まずは、感じてほしい詩ですね。
蛇足ですが、試験でよく出るポイント紹介。
①作者名・題名(漢字で書かせる)・成立年
②原爆投下の日付・場所・時間 広島・長崎両方が問われます。
③詩の形式・技法 口語自由詩 擬人法・体言止め・対句・倒置法(省略)
④「生と死のきわどい淵を歩くとき」とはどのような事か。
⑤「何かが近づいてきはしないか」とは何が近づいてくるのか。「戦争」だけでは△。
⑥「焼けただれた顔」と対になっている「顔」は。
⑦「りつぜん」の意味。
⑧作者は私たちに何を呼びかけているのか。「油断」という言葉から考える。
夏期講習前半も佳境に入りました。もうひと頑張りです!
国語担当平野でした。
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