學志館

2022.08.22

『おとなになれなかった弟たちに…』米倉斉加年

教育

夏休みもあとわずかとなりました。
今日は少し涼しくなったかな、と思うのですが、
學志館では前期期末試験に向けて、先生も生徒も大いに汗をかいています。

中1で今扱っている内容は、米倉斉加年さんの「おとなになれなかった弟たちに…」です。
絵本として発表されたのは1983年10月。
光村図書で中学一年の教材として採用されたのは1987年からで、
採用が決まって、ご本人が驚かれたとか。

米倉さんは1934年 福岡県福岡市出身で、
俳優・演出家・絵師として活動されていました。
私としてはNHKの朝ドラや大河ドラマに出ていたイメージが強くあります。
渋い演技の、いい役者さんでした。
絵の方も、なんというか独特なタッチで、見ていてドキドキします。
「おとなになれなかった弟たちに…」の挿絵も、全てご本人で、
表紙のヒロユキの絵のモデルにしたのは、お孫さんだそうです。

「ぼく」は米倉さん本人、物語の舞台は福岡です。
小学校4年の「ぼく」と生まれたばかりの「ヒロユキ」。
弟が欲しくて、とても可愛がっていたヒロユキのミルクを
盗み飲みしてしまった「ぼく」。
そして「ぼく」を厳しく叱ることができなかった母。
そしてヒロユキは1945年7月28日、2歳で息を引き取ります。栄養失調です…。

「僕はひもじかったことと、弟の死は一生忘れません。」

食べ物が十分にあって母のお乳が出ていれば。
自分がヒロユキのミルクを飲んでしまわなければ。
「ぼく」の痛切な後悔と悲しみが伝わってきます。
ぼくが殺した、という加害意識を、ずっと持ち続けていたと米倉さんは語っています。
では、ぼくや母をそこまで追い込んだのは、一体何なのか。

心情を具体的に書いている所が少ないので、想像力を働かせなければならないのですが、
当時の状況(食料の配給、疎開生活、戦争前と中の日常)を伝えないと、
「ひもじい」が実感として分からないので、この単元を扱う時には補足が多いです。
2歳だと、本当はおしゃべりが出来て一人で歩ける頃だとか。
大人になると、親側の心情も想像できて、いや、読んでてなかなかつらいですね…。

では、蛇足の試験によく出るポイント。
①「弟たちへ…」なぜ「たち」と複数形なのか。
②「ヒロユキ」「ヒロシマ」「ナガサキ」と、カタカナ表記なのはなぜか。
③「それがどんなに悪いことか」の、それの内容の説明。
④「かえろう」と言った時の母の顔はなぜ美しいのか。
⑤ヒロユキを背負って帰る時の情景描写から読み取れる心理は。
⑥「ヒロユキは幸せだった」と母が言ったのはなぜか。
⑦ヒロユキを棺に入れた時、母が泣いたのはなぜか。
 またそれまで泣かなかったのはなぜか。

この文章には「…」が多用されています。
…にある、書かれなかった登場人物の気持ちを丁寧に追っていくことと、
戦時中の厳しい生活を知ることが、この単元の狙いです。

国語担当平野でした。

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