夏休みもあとわずかとなりました。
今日は少し涼しくなったかな、と思うのですが、
學志館では前期期末試験に向けて、先生も生徒も大いに汗をかいています。
中1で今扱っている内容は、米倉斉加年さんの「おとなになれなかった弟たちに…」です。
絵本として発表されたのは1983年10月。
光村図書で中学一年の教材として採用されたのは1987年からで、
採用が決まって、ご本人が驚かれたとか。
米倉さんは1934年 福岡県福岡市出身で、
俳優・演出家・絵師として活動されていました。
私としてはNHKの朝ドラや大河ドラマに出ていたイメージが強くあります。
渋い演技の、いい役者さんでした。
絵の方も、なんというか独特なタッチで、見ていてドキドキします。
「おとなになれなかった弟たちに…」の挿絵も、全てご本人で、
表紙のヒロユキの絵のモデルにしたのは、お孫さんだそうです。
「ぼく」は米倉さん本人、物語の舞台は福岡です。
小学校4年の「ぼく」と生まれたばかりの「ヒロユキ」。
弟が欲しくて、とても可愛がっていたヒロユキのミルクを
盗み飲みしてしまった「ぼく」。
そして「ぼく」を厳しく叱ることができなかった母。
そしてヒロユキは1945年7月28日、2歳で息を引き取ります。栄養失調です…。
「僕はひもじかったことと、弟の死は一生忘れません。」
食べ物が十分にあって母のお乳が出ていれば。
自分がヒロユキのミルクを飲んでしまわなければ。
「ぼく」の痛切な後悔と悲しみが伝わってきます。
ぼくが殺した、という加害意識を、ずっと持ち続けていたと米倉さんは語っています。
では、ぼくや母をそこまで追い込んだのは、一体何なのか。
心情を具体的に書いている所が少ないので、想像力を働かせなければならないのですが、
当時の状況(食料の配給、疎開生活、戦争前と中の日常)を伝えないと、
「ひもじい」が実感として分からないので、この単元を扱う時には補足が多いです。
2歳だと、本当はおしゃべりが出来て一人で歩ける頃だとか。
大人になると、親側の心情も想像できて、いや、読んでてなかなかつらいですね…。
では、蛇足の試験によく出るポイント。
①「弟たちへ…」なぜ「たち」と複数形なのか。
②「ヒロユキ」「ヒロシマ」「ナガサキ」と、カタカナ表記なのはなぜか。
③「それがどんなに悪いことか」の、それの内容の説明。
④「かえろう」と言った時の母の顔はなぜ美しいのか。
⑤ヒロユキを背負って帰る時の情景描写から読み取れる心理は。
⑥「ヒロユキは幸せだった」と母が言ったのはなぜか。
⑦ヒロユキを棺に入れた時、母が泣いたのはなぜか。
またそれまで泣かなかったのはなぜか。
この文章には「…」が多用されています。
…にある、書かれなかった登場人物の気持ちを丁寧に追っていくことと、
戦時中の厳しい生活を知ることが、この単元の狙いです。
国語担当平野でした。
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