今年大学を卒業し、茨城県公立高校の数学の教員として勤務される前の3月に加藤先生にインタビューさせてもらいました。
聞き手は、學志館代表の志村です。
カギ括弧の付いているのが、加藤先生の発言です。
以前このブログで石川先生が「學志館にてK先生の茨城に之くを送る」で李白の漢詩を引用して惜別の思いを綴った、K先生のことです。
少々長くなりますが、最後までお読み頂けると幸いです。
今日は忙しいところありがとうございます。
加藤先生は今年大学を卒業し、4月から茨城県立高校の数学の先生になります。おめでとうございます。
大学4年間は學志館能見台校で数学・理科を担当してもらいました。
講師をされる前に、なんと小学校5年生から高3まで學志館に通った卒業生です。
「いえ、小学校4年生の終わりからです。」
でしたか、、 来た時の印象はどうだったんですか?
「僕はジュクに通ったことはなく、他塾の体験を何件かしたことがあるだけでした。他の所は学校を小さくしたようなイメージで生徒がたくさんいてワイワイやっている様な感じでした。それに対して、學志館は少人数で一人一人にアプローチするのが当然という雰囲気があり、それが印象深かった、と思います。」
他の塾を体験して、結局學志館を選んでくれたんだけれど、選んだ理由は何ですか?
「クラスの1人として、僕を見てくれるのではなく、僕1人のことを見てくれる、隣にいる子もその子として見てくれる、と言うことを強く感じたのが印象的だったかな〜と想います。」
でも、昔は別のことも言ってたよね
「昔からなんで學志館がいいかと聞かれたとき、自分に合わせて教えてくれる」
言葉で表現するとそういうことかもしれないが、前はピリッと感じることがあったから、と言っていた。
「言ったかな? 他とは違う感じがしたのは確かで、臨海、栄光、學志館と来た時に、他とは違う感じがして(それを言葉で表現すると上記のようなことになるかな〜)」
でも、ピリットという直観のような感じはもう忘れてしまったのか!? つまり、大人になってしまったと言うことかな?」(2人で大笑い)
「元々塾は、お父さんが探した。
学校の担任の先生との関係もあって、ある日突然学校から帰ってきたとき父にこのままじゃ駄目だ、塾に行きたいと言った。
親としては小学校の内から塾へ行かせることは考えていなかったみたい。
いろいろ捜してきて、その中の一つが學志館だったと言うこと。」
お父さんは學志館をすすめたの?
「すすめたと思う。
大手の塾をいくつか体験したけれど、自分は大手に行く気になれなかった。
また父も、大学の時、塾で国語を教えるアルバイトしたり、仕事が新聞記者と言うこともあり国語を大事にしていて、『論理エンジン』に興味を持ち実際に来て話を聞いて、国語を大事にして、国語力を育てることに共感して自分にすすめてくれた。」
學志館で印象に残る授業は?
「學志館の小学校クラス算数の授業で、自分は算数が得意だったので、クラスの宿題はすぐ終わるだろうからと、追加の宿題を出してくれた。それはテキスト内容ではなく数学パズルのようなもの。例えば、中学校では連立方程式を使えばすぐ解ける問題を小学生の知識で図とか上手く使って、あえて解かせるような問題だったり。毎週出してもらった。
国語では作文が嫌いで書けなかった。「論理エンジン」の文章を読んで200字で要約しなさい、という宿題をやってこなかったとき、国語の先生にすごく怒られて、授業後、全部やってから帰れと言われ、必死に書いて提出したら、先生にとてもほめられたことがきっかけとなって国語の文章を書くことが苦ではなくなった。」
怒られる経験も必要だね。
「あそこでガツンと言ってもらえてよかったし、有り難かったと思っている。」
中学は富中。加藤先生にとってどういう学校だったか?
「地元の生徒が集まってくる学校。いろいろな小学校から来る生徒のタイプが違って、それは衝撃的だった。能見台から来る子と富岡から来る子は結構違っていた。最初は大変だった想いがある。」(加藤先生は能見台南小)
中学校の勉強は順調だった?
「順調だったと思います。
中1前期中間を受けたとき、理社の勉強の仕方が分からないままやったら、できなかったのでクラス授業として追加してもらった。
中2の時、全国模試でメダルをもらったことが何回かあった。」
中2の夏期講習を他塾で受けたことがあったよね?
「そうそう中2の時、夏期講習は別の所へ行きました。學志館の生徒が増えたことで、クラスの学力差が出てきた。他塾(HS)の学力差で区別するクラスの授業を受けてみたいと思った。
結果戻ってきたのは、20人いる中で、その中の一人と言うよりも、自分に合わせてくれるのは學志館だと思って戻ってきた。
少人数で自分を見てくれる先生がいると思った。」
でも、加藤先生はその時、『學志館の方がレベル高かった』と言ってたよ!
「そう言ったかは覚えていません!?
HSは必ずしもレベルの高い授業をしているわけではなく、先に先に進んでいるだけで、理解が必ずしもみんなに定着しているわけではない印象だった。それに比べ、學志館は理解が足りていなければ、それを補強する授業をしてくれるし、理解レベルが高い場合はそれに合わせた授業をしてくれる。そういうこともあり戻ってきました。」
なるほど、大人の説明だ!
高校選ぶときにいくつか候補があったと思うけれど、最終的にサイフロにしたのはなぜ?
「翠嵐は勉強のできるイメージ、湘南の文武両道もいいなと思ったけれど、進学実績や偏差値で選ぶのは、どこへ行っても自分が頑張ればいいだけの話なので、それらは判断材料にはならなかった。一番変わったところで一番おもしろそうな所はサイフロだと思いそこにした。」
高校入って、高2からまた學志館に通う様にした。
大学は慶応大学に進学。
なぜ、學志館で講師のアルバイトをしたのか?
「中学の時に数学の先生になりたいと思った。
生徒として通った學志館で、今度は先生として、自分が教わった先生と一緒に研修を受けるという、おもしろい経験をした。
予備校のチューターをしている友だちの話を聞いていると、バイト同士の付き合い、関わりだけになってしまう。が、學志館は自分が教わった先生たちからも教わることが多く貴重な経験ができた。他でバイトしている友だちの話だとバイト同士の繋がりばかりだった。」
最初、自分(志村)が話したのは、加藤先生の先輩で、同じように學志館の卒業生。4年間講師のバイトをして、現在は神奈川県公立中学校の先生をしているS先生に大学1年の時、教員志望ならお金を稼ぐことを目的に學志館で働くのではなく、教育の経験を積むために働くならいいと。お金は他のバイトをして稼げばいいと言った。同じことを加藤先生にも話した。最初はそんなに授業は入らない。経験無いし、ここはベテランの先生多いから。それでも、2年3年になると結構授業も多く入り他のバイトは辞めてここに専念するようになった。
加藤先生が學志館で学校の先生になる上で学んだことは何ですか?1つ上げて下さい。今後の教員生活で生かせるようなことはなにか?
「うん〜〜〜」
即答できないので、今後、教員生活をおくる中で気がつくかもしれない。その時に教えて欲しいと話す。
中学校のときに学校の先生になりたいと思ったのはなぜか?
「學志館で数学の授業を受けたとき、クラスの生徒の数学のレベルがバラバラ。しかし、レベルの違い、理解の仕方の違い、癖の違いを見抜くのがものすごく上手で、生徒から何も言わなくても、各々に合った課題を出してくれ、各々の足りていないところを補って、各々の長けているところをのばしてくれるやり方をしてくれていた。それを見ていて先生はすごいなと思って、ある日思い立って父に「将来、學志館の先生みたいに数学を教えたい」と話したら、父の反応も良かったのでそれから、先生になることを言葉にし出したと思います。」
どういう先生になりたいか?
「生徒が頼りたい先生になりたい。この人に聞いたら、必ず得るものがあると、あるいは何とかしてくれそうな気持ちにさせてくれる。知識量もそうだし、人間性もそうだし、生徒から見ると頼りがいのある先生になりたい。」
そうなるためには、どういう努力をしていかないといけないか?
「まずは、専門教科としての学習をもっと勉強していきたい。どんな問題にも答えられるようにしていきたい。」
次はさっき、即答できなかった問に対する答えを追求することかもしれない。学校や塾の目的・目標があり、それを目指して教えることも1つの教育の在り方かもしれないが、その生徒本人にとっての目的・目標・可能性の発見と育成。そういう視点を持って生徒に対するときにもっと多重多層な教育の姿が現れてくるように思われる。加藤先生には、そういう関わりを生徒とすることのできる先生に育ってもらいたいと思ったし、そうなることのできる先生だと思いました。
長い時間率直に質問に答えてくれてありがとうございました。
今後のご活躍をお祈り申し上げます。
開く 閉じる
池子校への
お問い合わせ
能見台校への
お問い合わせ